旧島津氏玉里邸庭園

島津家第27代当主島津斉興公が江戸時代の1835年に造営した庭園で、「上御庭」と「下御庭」に分かれています。 「上御庭」は、かつての主屋建築群の南庭として造られたもので、東側に3つの築山と楕円形の園庭を持ちます。書院のあった旧位置からは樹木越しの南方に丘陵を望むことができ、書院は失われたものの書院造庭園の遺風を今に伝えます。 「下御庭」は、敷地北寄りに茶室が建ち、南正面に池庭が展開します。茶室の東側には渓谷を象った滝流れがあり、自然石の大石橋の下を潜って池へと注ぎます。53個に分割して運び込まれた巨石や、頂部に獅子の彫刻を載せた山灯籠、笠石に瓦・軒を浮彫りした三重石塔型の灯籠など、独特の意匠を持つ景物が随所に見られます。 江戸時代末期に造営された本庭園は、書院からの鑑賞を意図して造られた庭園と回遊式庭園の双方の様式を併せ持った庭園であり、意匠・材料などの観点から地域独特の風土的特色を示しており、南九州の大名庭園として学術上・鑑賞上の価値は高いです。 なお、玉里邸の諸建築は1877年の西南戦争で焼失しますが、斉興公の五男、島津久光公が再築し、1879年に上棟しました。その後、1945年の太平洋戦争によって茶室、長屋門、黒門を残して建造物は焼失しました。

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